キッシンジャー氏と
寒波に見舞われたニューヨーク。その日私はキッシンジャー元国務長官を市内のオフィスに訪ねた。政界を退いたばかりの元長官は、長旅を労い、気さくに取材に応じてくれた。ベトナム和平、中東和平、それに米中復交を成し遂げるなど輝かしい経歴で知られる元長官だが、少年の頃は貧しく、しかもナチスの迫害を受けたという。それで祖父から渡された10ドル札一枚と一冊の分厚い本を握りしめて、アメリカに逃れてきた。ドイツに残った祖父母は殺されてしまった。英語が分からないのでなかなか友達ができなかったらしい。だからボロボロになるまで祖父がくれた本を読むことで、淋しさを紛らしていたのだろう。なかなか仕事にありつけなかったが、論文を読んだニクソン大統領に見出され、ついに国務長官の地位まで、上りつめる。私はこの取材で、キッシンジャー氏を支えたのは、その世界観を貫き通す強靭な意志力だったことを知った。
フジモリ氏と
灼熱のリマ。大統領府の執務室の壁が、びっしり本で埋まっている。これはすごい、と思う間にフジモリ大統領が現われた。そのとき大統領は訪日を果たしたばかり。その印象を聞くのが狙いだった。大統領は屈託もなく、ときおり日本語も交え話し続けた。ふと話を途切らせた。「そうだ、こっちに来てくれ」と、中庭に案内された。イチジクの木があった。氏は裸足になり、スルスルと木に登り、やがて実を抱えて降りてきた。そして「これをふるさとに届けてくれ」と言って、手を差し出したのだ。私が大統領と同郷なのを知っていたのか。そのとき氏は、柔和な眼差しの奥に、父祖から受け継いだ心と故国への愛が結んだ力をのぞかせていた。
当時、毎日新聞記者であった私は多くの人物に出会い、接触する機会に恵まれたが、とりわけこの二人の読書家に、今も印象深きものをおぼえるのである。
さて小社は歴史書を主とする出版社として、歴史とくに近代史をひもとく素材を歴史ファンに提供してきた。これまで日本では現実に起こる日常史にばかり関心がおかれ、戦争や軍事がウエイトを占める近代史の研究はとかくなおざりにされてきた。そればかりか平和な時代に育った日本人は、過去にさかのぼって永い時間軸をひくという作業を忘れてしまったようである。しかし、わが国を取り巻く状況を鑑みるとき、戦争や軍事の諸問題は現実味を帯び、真剣に取り組むべき時期にさしかかっていると考えられる。この時にあたって、小社の刊行物がこれらの分野の発展にいささかなりとも寄与できれば望外の喜びとするところであり、あわせて今後の出版についても読者諸兄にこれまで以上のご愛顧を賜わらんことを願う次第である。
代表取締役 松藤竹二郎
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